【後編】諸行無常 ― 知っていることと、行動し続けること、そして生きることは違う

前編では、うつの底で「諸行無常」という言葉に救われた話を書いた。

https://ameblo.jp/reiko1105031206/entry-12981245328.html

けど正直に言えば、この言葉の意味を知ったその日から、楽になったわけではない。

仏の教えに触れ続ける理由

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わたしは神仏が好きで、定期的に京都や奈良を訪れている。うつ病の治療や支援方法は、論理的に理解しているし、看護師として、また研究に携わってきた者として、エビデンスの大切さも知っている。知識は支援の土台ですね。

けれど‥‥

わたしの支援の根幹にあるのは、人間の魂に触れること。

それは、偉い方の研究結果や理論だけでは届かない場所にあると痛感しているから。

(重度うつの経験者なら、この言葉の意味を理解されるだろう)

だから、定期的に仏の世界や教えに触れていないと、わたしはわたしでなくなる気がしてた。だから、寺の静けさの中に身を置くとき、わたしは支援者としての自分の原点に立ち返っています。

今年のXmasは、新しいお香を買おうと思うほっこり

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学ぶこと、理解すること、実行できること

以前、とある領域の博士課程に進学された方が、うつ病になって、私はしばらく回復伴走支援をさせていただいた。

誰よりも学び、誰よりも深く理解している人。それでも、その方にうつ病は訪れた。そして、頭でわかっていても、なかなか動けない日々が続いたのです。時に「消えたい」という言葉さえも…

考えて考えて考えまくって、うつの状況が悪化していたのだ。

そのとき痛感した。

学ぶことと、専門的に理解することと、それが「実行できることは、まったく意味が違う」と。

これは何度もブログで書いてきましたよね。

わたしも同じだった

わたしも同じ。

「諸行無常」の意味を知ったから楽になったのではない。何度も何度も何度も何度も…この言葉に出会い直しながら、少しずつ生き方を変えていったんです。

すべては移り変わるわけで、ならば、わたし自身も変わっていけるって思った。そう頭でわかることと、魂で腑に落ちることの間には、長い長い長ーい道のりがあって、その正解のない道のりを一人で歩くのは、とても難しかった。

知識ではなく、道のりに伴走する

うつ病の回復に必要な情報は、今や本やネットにあふれているし、読めば、誰でもわかる。

けれど、わかっても動けないのがうつ。

動いてみても、続けられないのがうつ。

だから、悲観して諦めてしまうのが、うつ…

長期化し人生すら変わってしまうのが、うつ。

変化するのです。

良くも、そして悪くも。

手書きの感想が書かれた用紙と、読書カードが置かれている様子。

だからこそ、わたしは知識を伝えるだけの支援ではなく、その道のりに伴走する支援を行ってます。学んだことが理解に変わり、理解が実行に変わり、やがて生き方そのものが変わっていく。


回復までの変化もまた、諸行無常なのだと思うもみじ


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