【うつ病】「稼がなきゃ」を手放した日:スピリチュアル依存から、家族と歩き直すまで

夕暮れの風景に家族が手をつないで歩いている様子。背景には山があり、空には雲が広がっている。タイトルは「稲がなきゃを手放した日:スピリチュアル依存から、家族と歩き直すまで」と表示されている。

本記事は、ご契約時にご本人の許可を得た上で、個人が特定されない範囲で支援記録の一部を修正・再構成して掲載しています。

50代、専業主婦。

大学生の息子を二人育てるKさん。
きっかけは、SNSで見かけた一本の広告でした。


  第1章:キラキラして見えた世界

「最近話題の心理カウンセラーで稼ぐ」

そんなSNS広告に惹かれ、Kさんは無料体験会にオンラインで参加しました。

そこに集う女性たちは、みんなキラキラして見えたといいます。

元うつだったという女性が、何の専門資格もなく「稼いでいます」と堂々と語る姿もありました。

専業主婦として多くの時間を過ごしてきたKさんにとって、自立していた独身時代の銀行に勤めていた7年間。

それは、もう遠い記憶でした…


自立した女性を見ると、とてつもなく羨ましくてたまらなかったといいます。

マニュアルと言われる情報商材を購入し、オンラインセミナーに参加して、週末には仲間のセミナーへの参加も次第に求められるようになったとのこと。

ブログに「いいね」を付け合い、そのコミュニティに自分の居場所を探す日々。

スピリチュアル系での起業を目指したKさんは、ネットの寄せ集め記事を毎日ブログ投稿。ランチ写真を撮るためだけに洋服を買い、お茶会にも参加するようになりました。

けれど、次第にこう感じ始めます。

「私は、本当にこんなことがしたかったのかな…」

  

第2章:壊れていく境界線


夫に相談すると、「もうやめろ」と言われたそうです。

「一度やると決めたからには続けなきゃ」

「付き合いが悪いと言われたくない」

いい人を演じ続けていたKさんは、ブログを書こうとすると途端に動悸がするようになっていました。

「主婦起業はリアル目線が重要」と言われ、私生活までブログに書いてしまったことも。それを偶然読んだ夫は大激怒。

「マジでいい加減にしろ!」

でも、その瞬間、Kさんの中に悔しさが込み上げてきました。

「出産し家事をこなし、本当の私は、この家になかった!」


初めて、夫に反論した瞬間でした。当時、夫の母親、そして自身の実母の介護も並行して担っていたKさん。

認知症の実母の言動に嫌気がさし、思わず叱ってしまったことがありました。「はっ」と我に返ったとき、異常なほどの自己嫌悪に陥ったそうです。

コミュニティの中で一番信頼していた友人に「絶対に言わないでね」と相談したところ、その後、知らないうちに周囲に家庭内の状況が広まっていたことを知ります。

「●ちゃんが、言わないでねって言いつつ、Kさんのこと喋ってたよ」

「え…」

「もう、誰を信じていいか分からない」

「相談する相手を間違えたんだ、私」

少しずつ食欲が落ち、10日間で3kg減。昼間は家事をする以外、ずっと横になって過ごす時間が増えていきました。考える時間が増え、被害的な妄想が止まらなかったと言います。

  第3章:「絶対に病院はダメ」というマニュアル


ネットで調べると、症状は軽いうつに当てはまりました。

しかし、病院にはかかりたくない。

薬にも頼りたくない。

知り合いに相談すれば、ネタにされてまた広められる。

そんな不安の中、Kさんは私の研究所のHPにたどり着いたそうです。

個人情報厳守という言葉と、当事者経験のある支援者であることが相談を決めた理由とのことでした。

初回面談時、Kさんはまだ迷っていました。

うつ症状も軽かったこともあり、私は「お手伝いできることがあれば」程度に留め、勧誘は一切しませんでした。本人を余計に迷わせてしまうと考えたからですね。

その後、まだつながっていた講座仲間に当研究所のサポートを受けたいと相談したKさん。返ってきたのは、こんな言葉だったそう。

「ありがとうって言い続けたら治るよ」

「イメージトレーニングで治った人知ってるよ」

「○○を食べたらいいよ」。

そして、トドメに

「絶対に心療内科なんて受診したらダメ!人生の負け組になるよ」

と、マニュアルまで手渡されたと。Kさんは、一度はそれに従おうとしました。けれど最終的には「スピ系の起業仲間とは離れます」という言葉とともに、申し込みに至りました。

多忙な夫には呆れられ、感情の波に疲弊されていた時期でもありましたから、家族に相談せずの申し込みでしたが、私はKさんの意志を尊重しました。

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第4章:静かな決別、そして見えてきた本当の課題


ご契約後、Kさんは何も言わずにSNSアカウント削除し、ブログの削除を検討。ただ、冷静な判断ができない状態での即決は避け、一旦「非公開」にとどめる形を取りました。

生活を伺うと、市販の眠剤を使い、0時就寝、5時起床という日々。

もっと早く眠れないかお尋ねると、

「息子の帰りを待って夕飯を食べさせているので、片づけをすると0時になってしまいます」

との返答。

大学生の息子の世話に睡眠時間を削ってまで向き合う理由を聞くと、

「それが習慣だったから」

と、その後の対話内のキーワードに「習慣」が多く出てたことは一つのkeyだと感じました。

「結婚したらパートか、専業主婦でもいいよ」

結婚当時、その言葉はKさんにとって魅力的でしたし、会社の人間関係に悩むこともなく、残業もない。

銀行員だったKさんにとって、専業主婦になってからの「仕事」は、夫や息子、両親、義両親の世話をすること。それは当然のこととされ、そこでしか自分の価値を感じられなかったといいます。

いつしか「ありがとう」の言葉をかけられることもなくなり、

「何のために、自分は生まれてきたんだろう」

「年をとったとき、息子たちや、その奥さんたちは私を介護してくれるのだろうか。自分がやってきたことを、同じようにしてもらえるのだろうか」

そんな、勝手な押し付けの価値観があったと、Kさんは振り返ります。

  第5章:「あなたは、生身の人間である」

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精神科や心療内科の受診には抵抗があったKさんでしたが、症状が徐々に悪化しており、起床時の漠然とした不安感、家族を見送った後に襲う脱力状態は、明らかに普通ではありませんでした。

脈拍は1分間に100を超え、めまいもあり、考えるだけで吐き気を伴う日もありました。自律神経の乱れからくる症状が、はっきりと表面化していたのです。考える力が低下し、物忘れのひどさに落ち込むことが増えていきました。

これに対し、スピリチュアル系の友人たちは「言霊を唱えよう」「ご利益がある○○神社にお参りへ行こう」と言うばかり。

医療を真っ向から否定する人たちとの関係から、いったん離れてもらうよう伝えました。

「あなたは、生身の人間である」

「きっかけからは離れたかもしれませんが、結果的に良くなったかと言えば逆で、症状は続いており、消えていません」

と説明し、まず内科の受診を勧めました。

判断は消去法が鉄則ですよね。

動悸やめまいそのものに、何らかの疾患が隠れていないかを確認するため、近隣の内科で精査しましたが、異常なし。

「ストレスでしょう」といわれたそうです。

その先生はメンタル面も支援して下さるとの事で、心電図の結果を見て、リスクのない抗うつ薬を選択してくれました。

Kさんに一式の採血結果も見せて頂き、やや貧血もあったので、食事への支援も私の計画に入れました。

抗うつ薬と、最小量の睡眠導入剤が処方。しかし、友人の言葉が、頭の中でぐるぐる…と回っていたといいます。

「あんな薬、飲んだら廃人になるよ。人生の負け組だよ」



主治医や私の言葉を信じてもらえるよう、少しずつ信頼関係を築いていきました。

  第6章:薬の限界を、正直に伝える

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「いつか減らせますか、いつか薬をやめられますか」というKさんの問いに、私は「絶対にやめれるから大丈夫」と伝え続けました。

ただし、薬には自己効力感や自己肯定感を上げる効能はなく、夫との不仲を改善したり、息子たちが言うことを聞いてくれるようになる効能も一切ありません。

そこは全く別物だと、正直に伝え、一緒に解決をめざしました。

スピリチュアル系では、目に見えない世界を信じるよう言われます。それ自体は大切なことですね。でも、100%依存するのではなく、現実から目を背けないことも同じくらい大切なんです。

Kさんの体調に合わせて、都度、言葉を選びながら伝えていきました。

うつ克服までの支援計画を立て、まず薬に依存せず眠れるように、睡眠日誌を活用しながら睡眠から立て直してスタート。実際に減薬を始めると、一時的に睡眠リズムが乱れることがありました。

そこで、1日単位ではなく、1週間単位で経過を見極めていくことを伝えていったのです。

「不安になる自分に、不安になっていく。そして、ネット検索をしてしまう」

この悪化のパターンが見えており、更年期の時期とも重なっていたKさんには、体から整える方法、かつ無理なく続けられる方法を一緒に考え伴走しました。

他のクライアントさんたちから得られた、再発防止に効果的な工夫もお伝え。すべて事実に基づいたものです。

私の著書も読んでくださっていたKさんは、「◯ページの、あのクライアントさんは、私の状況と似ていますね。どうやって克服されたんですか」と、積極的に質問してくださるようになったのです。

ネット上の情報は出所が不明で、信憑性に欠けるものも少なくありません。情報の選び方についても、あわせてお伝えしていきました。

  第7章:遠い関係から、近い現実へ

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睡眠日誌を活用し、1日6時間安定して眠れるようになったとき、Kさんはこう言いました。

「アカウントは消しますね」

Kさんが依存していたSNSコミュニティは、地元のリアルな関係ではなく、実際に会うかどうかも分からない、遠距離の人たちとの関係でした。私は、オンラインコミュニティよりも、地元での実際のつながりを通じて、まず社会との接点を作ることを提案しました。

そこから、地域新聞で見つけたボランティア活動を始めたKさん。

公民館のヨガ講座にも参加し、体からリラックスし、体力を戻し体から整える過ごし方へと切り替えていきました。

少しずつ対対人恐怖や感情の鈍さも改善し、笑顔が増えていきました。

 卒業、そして家族の再出発


途中波乱もありつつ、最小限の薬もゼロに。思考錯誤の伴走支援を経て、最終回の面談には、Zoom越しにご主人も同席。

Kさんが眠れずリビングを異常なほど歩き回り、泣いたり、寝込んだりする姿を見て、引っ張られないよう自分を保つことに必死だった時期があったことを、ご主人は静かにお話してくれました。

家族だからこそ感情的になって冷静に話ができなかった状況に、第三者が間に入って解決してくれたことが良かったですと。

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※Step1~8まで伴走させて頂きました↑↑

Kさんは以前、「うつになったことのないあなたには分からないでしょ!」とご主人にぶつけたことがあったといいます。

ご主人自身も、どう声をかければよかったのか分からなかったんだ…と隣に座るKさんへ伝えられました。

ご主人はすこし涙ぐんでおり、その目に私も胸がいっぱいになりました。

今回の契約はKさん単独のもので、ご主人への直接的な支援は含まれていません。それでも、ご主人はご主人なりに、この家族の困難を乗り越えようと必死だったことが伝わってきましたね。

息子たちには「自分のことは自分でやるように」と、ご主人からも言うようになったそうです。両親の介護がKさん一人に任せきりになっていたことへの反省も口にされました。

「ちゃんと、言葉で感謝を伝えようと思います」と。

高齢のご両親については、かかりつけの内科医に相談の上、要介護認定を申請していただくよう提案しました。認定結果によっては、介護保険サービスなどの社会資源を活用できるためです。

介護支援専門員の視点からも情報提供を行い、これからはご主人を中心に動いていただくことになりました。

地域活動やヨガを通じて、体を動かす生活に変わってから、Kさんは汗をかき、笑い、食事を楽しめるようになっていきました。


  おわりに


前事例のOさんは約半年、Rさんは8ヶ月、そしてKさんの場合は、家族全体の立て直しまで含めると1年近くを要しました。

回復のペースは、その人が抱えてきたものの大きさによって変わります。

Kさんのケースが教えてくれるのは、「回復のために何かにすがること」自体は自然な欲求だということです。

ただ、そのすがり先が、現実から目を背けさせるものなのか、それとも現実と向き合う力を育ててくれるものなのか?

その見極めが、回復を左右するのです。

絶対に。

記事でご紹介したKさんが最初の3ヶ月で取り組んだ基盤作りの部分。

コミュニティとの距離の取り方、身体症状への向き合い方、医療との適切な付き合い方…。これらは、3ヶ月回復基盤プログラムの中で、一つずつ一緒に整えていく内容です。

そして、Kさんのご主人のように、そばで見守りながら、どう声をかければいいか分からずにいる家族へも、専用の伴走が必要です。

家族支援3ヶ月プログラムでは、家族自身の戸惑いや疲弊に寄り添い、共に歩む方法を一緒に考えます^_^

▶▶内容が気になる方は公式HPへ

https://gosyougawa.online/


一人で抱え込まなくていい。

それは、当事者にも、支える家族にも、同じように言えることです。

ではまた。

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